05-06正月合宿報

山 域  大雪山トムラウシ山


ルート  計画:俵真布
(美瑛町)〜三川台〜トムラウシ山往復

     実施:俵真布〜三川台往復


日 時  
20051229日夜〜200612


参加者  
Aパーティ:L.小野睦男 M.千葉芳弘、斉藤麻奈美

     Bパーティ:L.渡辺千春 M.尾谷 、中川 、前田

 

12月29日


  当初計画では、Aパーティは28日に札幌を出発して、
 
美瑛町の俵真布から三川台を経てトムラウシ山に登った後に
 三川台から南下してオプタテシケ山、白金温泉に抜ける計画であった。
  しかし、チーフリーダーの小野(武)氏が風邪のために不参加となったため、
 AパーティとBパーティが一緒に行動することとなった。

  夕方に札幌を出て俵真布の最終人家近くで幕営。

 夜中に女の子の声が聞こえ、何事かと目を覚ますと、
 何と我々のテントに声を掛けて来るではないか。
 この先(轍はあるが除雪はきちんと行われていない)で、
 車の車輪が雪に取られ脱出できなくなってしまったので助けて欲しいとのこと。
 尾谷氏と渡辺が現場に行き助け出すが、出だしからなにやら不穏な雰囲気。
 おそらく姉妹と思われる若い娘であったが、もう無謀なことは止めてちょうだいね。


12月30日

 若い娘に翻弄されたBパーティの方が何故か準備が早く、Aパーティに先立って出発。
 テント場から18線林道入口まで車で荷物を運び、そこから18線川沿いの18線林道を詰める。
 18線林道は途中まではトラックの轍があり、その先はスノーモービルの走行跡が残っており、ラッセルの必要はなかった。

 その後、835mPから北北西に延びる尾根に出て835mPの北側を回り込み、
 上俵真布林道(805m地点)に出る。
 やはり林道にはスノーモービルの走行跡がありラッセルはいらない。
 上俵真布林道を辿り台地林道に抜ける。
 ここでAパーティと合流。
 コンタ1110m当たりから台地林道を離れる。
 針広混交の樹林帯となっている広い尾根を南東方向に進み、
 コンタ1200mで本日のC1とする。

 


12月31日

  C1から広い尾根を南東に進み、
 扇沼山(1615m)から三川台方向に東に続く稜上に出る。
 稜上近くになり樹林帯がなくなる当たりから北風が強くなり、
 我々に容赦なく叩きつけてくる。
  これでオジサン3人は顔面が軽い凍傷に。
 また、前田氏は左足の親指に軽い凍傷。

写真2 稜線を目指して写真3 トラバース

 1668mPまでは稜上を忠実に辿る、
 1668mPの岩陰で風を避けて大休止する。
 ここからは1635mPから1675mPへ続く稜線の北側斜面をトラバースして辺別川の源頭に出る。
 トラバースした斜面は結構な傾斜だが、
 雪が安定していた
ため危険はほとんど感じない。
  辺別川源頭からは1774mPと三川台とのコル南側のがけ状になったところまで登り、
 風を避けて雪庇の下にC2を設営。

幕営した場所はちょうど雪の吹きだまりになる場所であったため
 (風を避けるために選定したのだから当然ではあるが)、
 大量の雪がテントに降り積もり、夜中に除雪に追われることになってしまった。
 これで全員寝不足に。
写真4 雪庇を崩し テント設営

1月1日

  夜中の除雪で寝不足となったため、予定より1時間遅れの起床。
 外は一面にガスが掛かり視界は不良。
 10時まで待機するが、相変わらずガスが掛かっている。
 今日のトムラウシ山アタックは諦め、吹きだまりになる現在の場所からテントを移動することにする。
 1774mPから南に延びる尾根(1650m)上にテントを設営。
 今度は風当たりは少し良さそうだが、ブロックを積んで風を避ける。

 このころから天気が良くなり、トムラウシ山が見えるようになる。
 遠くには下ホロカメットク山も望むことができる。
写真5 移設したC2(今度は快適かな?)

写真6 トムラウシ山も見えてきた

1月2日

  天気は良くない。
 トムラウシ山へのアタックは諦め、このまま下山することを決定。
 降雪により、トラバース斜面は来たときとは斜面の様相が一変し、雪崩に神経を遣いながらの行動となる。
 来たときは45分程度でトラバース通過した斜面にもかかわらず、今回は3時間を要した。

 しかし、トラバース後は順調に行動。
 林道はスノーモービルで踏み固められた上に少し雪が積もっている状況で、たいしたラッセルもなくスキーで滑りながら降りることができる。
 上俵真布林道を忠実に辿り(夏のルート)、俵真布まで下山。

写真8 トラバースして稜上に出た


 

<タイム>

12月29日 札幌発(20:00)=俵真布着(23:00)(C0) 就寝(24:00)


12月30日 起床(6:00)  十八線林道入口まで車で移動(7:20)18線林道入口(8:00)〜18線林道終点(10:00)〜上俵真布林道(805m)に入る(11:30)〜台地林道分岐休憩(Aパーティーと合流)(12:50)〜台地林道(スノーモービル跡)終点(15:00)〜C1(コンタ1200m)(15:15)  就寝(20:30)

12月31日   起床(5:00) C1(7:00)〜扇沼山(8:50)〜1668峰東で休憩(10:10〜40)〜(トラバース)〜辺別川源頭で休憩(11:25)〜C2(12:30) 就寝(20:00)

1月1日 
 除雪のため起床(0:30) 再就寝(3:00) 起床(6:00) 幕営地を移動(11:00)〜幕営(C2’)(12:30) 就寝(20:00)

1月2日  起床(5:00) C2’(7:25)〜尾根で休憩(9:30)〜1668峰東で休憩(10:45)〜扇沼山(11:35)〜C1跡(12:30)〜台地林道(12:35)〜辺別川(630m)(13:35)〜俵真布除雪道着(標高490m地点)(15:00)=札幌(21:30)


<総 括>


 (1) C2(トムラウシ山アタックキャンプ)設営場所の選定について

   トムラウシ山へのアタックキャンプとなるC2を、
  できるだけ風が当たらない場所にしたいということで、
  三川台と1774mPとのコル南側の崖状となったところの雪庇下に設営した。
   しかし、夜間に吹きだまりとなり除雪に追われてしまい、
  体力を消耗してしまった(0時半から3時までの2.5時間除雪作業)。

   翌朝はガスによる視界不良と強風を理由に停滞とし、トムラウシ山へのアタックを断念したが、
  アタックを断念した原因は、天気もさることながら夜間の除雪作業による体力消耗と寝不足によるところも大きい。
   また、テントをそのままにしておくとつぶされてしまう可能性も高かったため、
  安全な場所に移設しなければならなかった。


  あの程度の天候であれば、十分に就寝時間をとることができて体力的にも問題がなければ、
  「行けるところまで行く」ということでトムラウシ山にアタックを試みた可能性が高い。
  テントを移設していた12時近くには天気が回復して青空となり、
  トムラウシ山はじめ周辺の山が見渡せるようになったことから考えると、
  トムラウシ山に登頂できた可能性は高かったと思われる。
 

   テント場では大量の雪が降り積もったが、テント場から少し離れると雪はほとんど積もっていなかった。
  このことは、少し違う場所にC2を設営していれば、夜間に除雪する必要もなく、体力消耗や寝不足がなく、
  トムラウシ山アタックに向けて行動を起こしたものと考えられる。

 
   以上から、C2の設営場所の選定にもう少し慎重さが必要であったと言える。



 (2) 行動について

   判断力を必要となる扇沼山からC2の区間(トラバースとやせ尾根)では、
  三川台から扇沼山の間では、ほとんどの区間で尾谷氏がトップを行った(一部区間を渡辺がトップ)が、
  経験年数の浅いメンバーからは「ただ付いていくだけで、自分で判断することができず残念であった」との指摘があった。
  
   経験の浅いメンバーができるだけ経験を積むことができるように配慮することが必要であった。


 (3) 凍傷対策について

   前田は左足親指が凍傷となり、尾谷氏、千葉氏および渡辺は、顔面が軽い凍傷となった。
  前田の凍傷は対処が早かったため事なきを得たが、状況によっては重大事態になった可能性もある。
  靴の締め方等に、より一層の注意が必要。

   渡辺以下3名は、本人は注意していたつもりであったが、左側から吹き付ける強風により凍傷となってしまった。
  若いときは多少吹かれてもこんなことはなかったと本人たちは言うが、年齢を考え慎重な行動が必要。


 (4) 装備

 @ 薬品は会装備をそのまま使用したが、本当に必要なものがあるかどうか確認しなかった。
   山行形態に応じて必要なものを吟味することが必要であった。

   A 冬山におけるテントの内張とフライシートの問題を検討すべき。
     B 枝をペグ代わりに使用する場合は、縦に挿すのではなく、横にして全体を雪の中に埋めてしまうべき。
    (今回フライシートに穴をあけてしまった。) 


 (5) 食料

    全体的には量的に適量であったが、α米でおじやにする場合には一人当たりの量を検討する必要がある。

 

(渡辺 記)