日時 2006/3/10〜12
メンバー:柏本、柏木、小田、三佐川
06年3月10日(金)
出発直前、「三佐川氏病欠」の報が入る。
思わず頭をよぎったのは、「山行中止」の4文字であった。
自分を含めて冬山経験の浅い残りのメンバーでツアー例会が完遂できるかどうか、ハッキリ言って微妙だった。
だが、このメンバーで無事にこなせればそれは我々にとって大きな自信になるという確信もあった。
そして近づきつつある低気圧。
撤退とエスケープの判断がキチンと出来るかどうか、ますます微妙な山行になりそうな予感があった。
風邪気味なのに三佐川さんはC0まで来てミーティングだけして帰っていった。
エスケープルートについて詳しく教えてくれた所を見ると、やはりメンツ的に不安があったのだろう。
何しろ、3人が3人とも「特攻隊員」なのだから仕方がない。
本当、ご心配お掛けしてすみません。
06年3月11日(土)
予定通り4時半に起床し、6時出発。天気は曇り、風少しあり。
札的川を渡り、しばし林道を歩く。
雪はしまっていて歩き易いが、気温が高い為ベタベタとシールにくっつき、スキーが重い。
自分を含めて全員が三佐川氏の欠席によりいつもより慎重に読図を行っている。
如何に日頃先輩に頼りながら登っているのかがよく分かる。
尾根上はやや風が強くなってきて、鳥越山手前の480m地点へ向かう尾根辺りからガスり始める。
8:30頃には一瞬雨が降ったような気もするが、すぐに止んだ。
時々雪面が柔らかく、下に空洞が出来たところがある。
そんな小落とし穴にスキーを引っかけられたりしながらも、まずまずのペースで鳥越山を越える。
鳥越山へ上がる一瞬だけは斜度があり、稜線の左右も切れていたので難儀したが。
ピークに立ってみると、これがまた真っ白で樺戸山もなんも見えたもんではなかった。
鳥越山から樺戸山へ向かう稜線上は、右側が崖になっている。
見事な雪庇も形成されていたので出来るだけ左の樹林に沿って歩いていた。
柏本が先頭で歩いていたが、いきなり足下が崩れて穴に落ちる。
「しまった、雪庇踏み抜いたか?」
と思ったが、左も右も固い雪に覆われている。
さながらヒドゥンクレバスである。
深さおよそ2m、幅1mぐらいで、そこから進行方向に向かってしばらく真っ直ぐ繋がっている様だった。
「北稜2号」にもこの山域で尾谷氏が似たような穴にはまった、との記録がある。
正体は不明だが、穴の底から生きてる木の枝が一本見えていた所を見ると、木の熱によって作られた空洞かなんかか?と思われる。
が、推測の域は出ない。
←問題の穴。雪庇?
樺戸山まで4時間を目安にしていたが、先ほどの「死のクレバス」事件や、悪天候のこともあり5時間近くかかった。
樺戸山から隈根尻山に向かう稜線は強風で思うように歩けない。
左右はきれている。
木についていたと思われる氷の塊みたいなのが雹のように顔に当たってきて痛い。
後ろで小田さんが転んでいる。
(「私が女だからしっかり歩けないんだ!悔しい!」と思ってたそうな。)
前では柏木さんが少しずつ進んでいる。
なんとかこの細い稜線を抜けられればマシになるだろうか?
と思っていたら柏木さんがコケた。
「柏木さん!戻るよ!!」と叫ぶが声は届いておらず。
(因みに柏木氏は「まだ行けるかも」と思っていたらしい。)
しょうがないので、近づいて撤退の意志を伝えることにする。
後ろからは小田さんが少しずつ進んできている。
手を広げて
「小田さん、来ないで!!」叫ぶがやはり声は届かない。
(後で聞くと、むしろ「こっちおいで!!」と叫んでる様に見えたらしい。)
「柏木さん、こりゃダメだ!戻ろう!」
やっとのことでそれを伝えて鳥越山方面へ引き返す。
稜線上の被害、テントマット一枚(所有者三佐川氏)。
なんとか風のない場所まで引き返す。
鳥越山東側か?と思われるコルで、木の陰にブロックを積みながらC1を作る。
下山も可能な時間だったが、全員そのつもりはなかった。
「山と遊びに来たから泊まっていこう!(by柏木)」
かくして、もてあました暇は超豪華なブロック作りの時間へと使われていったのだった。
が、これは結果的に只の自己満足では終わらなかった。
風の弱かったこの辺りでさえ、夜になると強風が吹き荒れていた為、堅固な城壁は大いに役立ったのである。
それにしても結露は酷かった。
←立派なブロック作りました。
06年3月12日(日)
昨夜のミーティングの結果、天気が良ければ隈根尻山にアタックして天狗鼻方面へエスケープする予定だったが、
視界は良くなったものの風は一向に止まない為、同ルートを下山することにした。
実は昨日のテント場の現在位置把握が間違っており、我々はまだ鳥越山まで戻っていなかった。
その為、下山中に途中まで別の尾根を降りてしまい、もとの場所まで登り返すなどし、異様に時間をかけて下山することになってしまった。
回復した三佐川隊長と再会したのはなんとか無事正しいルートに戻ってからだった。
まだまだルートファインディング能力が不足している3名だと痛切に感じたが、病み上がりの三佐川氏に救助されなかっただけよしとせねばならないだろう。
ああ、恥ずかしい。
下山してからも風はやや強かった。
札幌はそれ程風がなかったというのだから、もともと風の強い山域なのかもしれない。
歩く事に重点をおくならばなかなか面白い山域だと思うが、滑りを重視するならば少し難しいのではないだろうか。
私など結局シールは一度も外さず仕舞いだったし。
ただ、結局縦走できなかったので、今度また行ってみたいな、とは思っている。
(記:柏本修平)
三佐川氏合流の証拠写真→